私は怒りました
などと言うのは
私は馬鹿です。
と触れ回るようなもの。
幸せの仇である怒りについて
これから学んでいきましょう。
怒りたくないのに怒ってしまうという相談に対しての
答えは簡単
それは
「怒らないこと」
仏教は怒りをごまかす方法などに関心はない
人生はあまりに短いのです。
生きてる間になんとか少しでもまともな人間になりたいのです。
怒りが生まれると喜びを失う。
怒りを意味するバーリ語
dosa(ドーサ)
意味は「暗い」
そのような感情が生まれたら確実に我々はあるものを失います。
それは「piti(ピーティ)」と言って
喜ぶという意味の感情
自分が今怒っているかどうか分からない場合
「今楽しい?」「喜びを感じてる?」
自問してみればいい。
「別に楽しくない」「つまらない」
と感じているならば
そのときは心のどこかに怒りの感情がある。
「怒り」というものを自分の心に生まれる感情として把握して下さい。
palasi(パラーシー)は張り合うこと。
他人と調和して仲良く生きる事が出来ない。
いつも他人と競争し、倒そうとする気持ちで
他人に打ち勝つ気持ちで生きている。
周りの人々Tに対して挑戦的なので結果として張り合うことになる。
これも怒りです。
Issuki(イッスキー)は嫉妬すること
他人の良い所を認めたくない気持ち。
この世の中にある、ものを作り上げる創造の源泉は愛情であって
創造したものを破壊して行くのは怒りの感情。
キリスト教などでは愛情を人格化して神というし、
憎しみや嫉妬や怒りを人格化して悪魔と言います。
そうすると
人間はやっぱり神様を拝まなくては
悪魔と戦わなくては
というふうに
何かを頭の中で想像して
イメージを作って行動します。
それで
神はいるかいないか
悪魔はいるかいないか
と
色々な事を考えたり哲学したりして
時間を浪費している。
このように感情を人格化すると
話としては分かりやすいが
実践は不可能。
問題を具体的に見ることが出来ない。
ですから仏教では
人間の感情を人格化しません。
人格化してしまうと
それは自分と別に存在しているのだ
自分は悪くないと他人のせいにしてしまう。
花の上に大きなゴキブリ
ああイヤだ気持ち悪いという感情が生まれてくる。
これは怒りの感情。
イヤだと思う感情は誰のせいにすれば良い?
怒りが生まれたのはゴキブリのせい。悪いのはゴキブリ?
あるいは犯人は自分自身だと決めるか。
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受け入れることと拒絶することをやってるのは自分自身。
怒るか否かは個人の人格の問題。
明るく生きるか。あるいは苦しくて悔しくて文句だらけの人生になるか。
それはその人次第であってそれ以外に原因はない。
バラの花をきれいだと思うこと
と
ゴキブリを気持ち悪いと思うのも人間の勝手。
鶏はゴキブリを食べる。
鶏に撮ってゴキブリはごちそう。
感情の物差しは人によって違う。
文化によって物差しが違う。
体を人に見せてはいけない文化も世界にはある。
からだの75%くらい外に出している人を見ると気持ち悪くなってしまう文化もある。
刺身
日本人はおいしそう。
でも
インドやスリランカの人は、恐ろしくて逃げ出す。
私は正しいと思うから怒る。
怒らない方が良いと分かっているのになぜ怒るのでしょう?
分析すると「自分の好き勝手に色々な事を判断して怒っている」
私は正しい。相手は間違っている。と思うから怒る。
相手が正しいと思ったら怒ることはない。
自分が正しいという考え方は非合理的で非真実だと
はっきり理解したらもう怒らなくなってしまう。
私は不完全だ間違いだらけだ。ということが心の中に入れば
その人は二度と怒らない。
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お釈迦様はすごく言葉に気をつけていたのがお経を見ると良くわかる。
それでも言葉自体が不完全だから誤解を招いたこともある。
このことが示すように
たとえお釈迦様でも完璧にしゃべれるわけではない。
お釈迦様はそれを知ってるか
なんで理解出来ないのですか?
というふうには怒らなかった。
母親というのは
なんかいいったら分かるの?
と怒りますが
何かについて
あれをやりなさい
これはやってはいけない
と繰り返している。
それでも子供は聞かない。
不完全な我々が精一杯話した所で
不完全な相手に伝わる保証などどこにもない。
うまくいってほしい
完全を求めるのはダメ
自分も他人も完全じゃないんだから、そんな希望はさっさと捨てた方がいい
いじめで苦しむのはいじめられた側。
いじめた側は苦しまない
あの人はいじめた、傷つけたと考えると怒りが沸いてくる
世の中、勝つ人がいれば負ける人もいる
それにいちいち怒ってたら行きてけない
嫌なことをしつこく覚えていて反復しないで
怒りは他人を破壊する前に自分を破壊して不幸を味わってしまう
怒りは本能だから仕方がない
これは、大変危険な間違い
なんとかして怒らない性格を育てよう
正義の味方、悪人を倒してやろうは間違い
悪人は殺せばいいという考え
でも、どれだけ殺したら悪はなくなるの?
怒った時に体が痛くなるとかのシグナルがあれば誰も怒らない
それがないから怒りというのは恐ろしい
が、怒りは
自分の内蔵を少しずつ燃やしてしまう。
疲れやすかったり、練れなかったりする人は
怒りの気持ちを持っている可能性が
怒りをなめるな。
怒りは猛毒。
底抜けに明るい人は病気にならない
子供が欲しいものを買ってもらえず泣いていたら
何か面白い事を言えばすぐ忘れる
家で奥さんとケンカになったらすぐに映画や飲みに行って下さい
つまり我々の怒りは環境に影響を受けている
自分を甘やかしてはダメ
怒りをなんとかするよう努力して
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