2007年3月で演奏活動を停止すると
宣言したオーボエ奏者「宮本文昭」さんが、
1968年に旧西ドイツへ留学してから32年に渡るドイツ生活のうち
27年余りをオーケストラ奏者として過ごしたことを振り返っている記事があったのですが、
その記事の中で印象深い部分があったので
紹介しますね。
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27年間で最大の失敗もまた、ワルベルクさんの下で起きた。
ある晩、別の指導者が稽古をつけたR・シュトラウスの歌劇「サロメ」を
急遽、百戦錬磨のワルベルクさんが代役で振る事になり、
僕を首席に座らせたのだ。
しかし、当時の僕はサロメでは「七つのヴェールの踊り」しか
演奏した事がなく
その部分を無事に吹きおおせた途端、
どこを演奏しているのか分からなくなった。
オーボエとヴァイオリン、ヴィオラの音が重なる場面に入ると
一人二人と弾くのをやめ
イングリッシュホルン奏者も「こりゃだめだ」と手を振って止めてしまった。
だがここでやめたら上演が崩壊する。
自分のミスと分かっていても拭き続けるしかない。
ワルベルクさんは「止めるな止めたらクビだぞ」
と言っているかのように
真っ赤な顔で懸命に振り続けた。
楽員代表のティンパニ奏者が大声で
譜面の練習番号を叫んで全員が我を取り戻し
最後まで演奏出来たが、
ワタシは首を覚悟していた。
ところが
ワルベルクさんは終演後、僕を抱きかかえ
他の学院に向かって
「彼は今日の英雄だ」
と
叫んだ。
音大を出たばかりの若者を独奏者として認め
大きな音楽で包んで下さったワルベルクさんこそ
マエストロ(巨匠)であった。
日本経済新聞2006/5/26号より引用
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なにか、
手に取るようにイメージが伝わってくる文章だったので
思わず紹介してしまいました。
宮本さんは、今後オーボエ奏者ではなく
日本音楽境界の場で音楽家としての活動をしていくそうです。
(このことについてのエピソードも、すごくいいのですが、上記の話が
薄れてしまうので割愛します)
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