道具としての英語

今週は
宮本武蔵5
脳を活かす勉強法
レバレッジ英語勉強法
新・知的生産術
ウェブ進化論
を読んだ

HI371599


この中で(武蔵を除く)共通するのは
道具としてのインターネットと英語を
使える事の大切さだと思った。
これから国際社会になるだとか
英語は必須になるとか
もう
何年(何十年)も言われつつ
まったく実感のない生活をしている人も
多いと思う(自分を含む)。
それに
逆に、あと何十年かは
まったく英語と関わらずに生活して行く事も
可能かもしれない。
だから
人それぞれの考え方次第だと思う。
そして
「考え方」だけで習得しようとするには
あまりにも途方もない時間がかかる。
ただ
多少なりとも英語を分かってくると
入ってくる情報が全然違う事に驚く。
たとえば
Appleが出しているソフトの情報は
米国の方が、かなり多いものも少なくない。
あるソフトに関して
日本のサイトだけ見ていて
「こういうことは出来ないんだ」
と認識していた事が
米国のサイトでは事例のひとつとして紹介されていたりする。
このことは
ごくごく
一例にすぎないけど
知ってなきゃいけない
には、ならなくとも
知ってるとすごくいい
という風にはなる気がします。
そんなことを
これらの本を読みながら
考えました。
ちょっと話は
ずれますが
この間、ある方に
「最近の外人みたいな子供の名前を、どう思いますか?」
と聞かれた事があった。
要するに
これからの国際社会に備えて
色々と凝った名前が増えて来たということみたいだけど
自分は全然いいと思う。
ただ、
国際社会になるからこそ
日本語の美しさを強調した名前で
日本人なんだ
ということをアピールした方が
カッコいい気もします。
日本語の美しさを強調したシンプルな名前でも
外人に読みやすい(呼びやすい)名前は
結構、あると思います。

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