すべては一杯のコーヒーから

僕の住んでるところでは、この前の選挙の候補者として彼がいた。
すごく興味をそそる人です。
すべては一杯のコーヒーから (新潮文庫)

タリーズとの運命的な出会いは、
シアトルでの1日目、飲み歩きを始めてちょうど10 店目のことだった。

「コーヒー・オブ・ザ・デイ(本日のコーヒー)」を飲んで、

“なんてうまいんだ!”

と感じたのが第一印象だった。

店員に話をしようとすると、用件はタリーズ本社に
連絡してくれという。すぐに渡された番号に電話をかけた。

呼び出そうとした相手は、店員から名前を聞いた、
創業者であり、会長(当時)のトム・オキーフだ。

いきなり最初から意思決定権を持った人に
話をするというのは、銀行での営業を通じて学んだやり方だ。

「オキーフはただ今、外出中です」

 ひとことで電話を切られたのも仕方なかった。

シアトルから日本に戻った彼は、タリーズにEメールを送る毎日が始まった。
銀行の仕事を終え自宅に戻った深夜、夜な夜なパソコンに向かった。

 自己紹介に始まり、次にタリーズが日本に進出した場合を想定して、
自分なりのビジネスの方法論を展開した。タリーズに送った「レポート」
は、週1度のペースで10回以上に及んだ。

そうして何回かメールを書いているうち、
タリーズ副社長(当時)のアールジェイ・セルフリッジからメールで返事があった。

と言っても、「参考になる意見をありがとう」という程度に過ぎない。
決して反応が良いわけではなかった。

それでも諦めずに、せっせとメールを書きつづけた。

メールには、日本全体の喫茶店の数、売上高の推移といったデータも書き込んだ。もちろん、すべて独学である。私は一度やると決めたら、徹底的にやらなければ気がすまない。とことんやって結果が出なければ、その時点で理由を考えれば良い。

タリーズに送った「レポート」は、週一度のペースで十回以上に及んだ。そもそも最初は、誰に送ればいいのかもわからなかった。仕方なく、タリーズのホームページに載っている代表アドレスに、「国際業務担当者殿」と宛名を書いて送った。

やらずに後悔するより、やれるところまでやって失敗を受け入れる方が納得できるのではないか。一号店をつくるために、生まれて初めて7千万円もの大金を借りた。私は借用書に印鑑を押す前に、自宅近くのコンビニを回った。そしてアルバイトの募集状況と時給を調べ、1日15時間働けば、30年程度で借金の返済ができることを確認した。

使命とは、ある日突然、天から雷のように落ちてくるものではない。ほとんどの人にとって使命は、奥底に眠っているものを自分で探しださなくてはならない。今まで自分で歩んできた人生を、足元からじっくり見直して見れば、きっとどこかにヒントが隠されているはずである。

銀座店での日々が、体力的には一番きつい時期だった。店は年中無休で、私も休みは一日もなし。営業時間の朝七時から夜十一時までバリスタとしてコーヒーをつくり続けた後、閉店してからは店内の掃除や事務的な仕事が待っている。すべてを終えて寝るのが午前二時から三時
頃。当然、横浜の自宅まで帰る余裕もなく、週の半分以上は店に泊まり込むことになった。地下の座席に寝袋を敷いて寝るのである。秋になる頃には寒さがこたえ始めた。閉店後、暖房は止めていたので、寝袋のなかに電気毛布を入れて寒さをしのいだ。疲れで朝も起きられず、六時半頃、仕事にやってきたバイトの声で目覚めるというのもしばしばだった。体力には自信があったが、オープンから二ヶ月で体重は七キロ減って六十八キロになった。朝、昼と売れ残りのパンを食べ続ける毎日だったから、それも仕方なかった。外で外食するのは、閉店後の仕事の合間に取る遅い夕食だけ。といっても、深夜にやっているのは牛丼店か、ラーメン屋くらい。それでも温かい食事はうまかった。

別に失敗したからといって、命まで取られるわけではない。
後は自分の力を信じて、挑戦し、最後まで諦めないことだ。



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